I
おかしな家だ。この、東へ十五度かたむいた家には、表戸の柱に紙きれがはりつけてある。
<これで、戸の左上すみをなぐりつけて下さい。すると、戸があきます。>
これで、というのは、表札の下にぶらさげてある金槌のことだ。
けれど、戸は、たいてい一日じゅうあいている。はずしてある。
外からは、金槌で、戸の左上すみをなぐりつけてあけることができるが、中からは、はずしてしまうより方法がないのだ。
Ⅱ
あさ、そのやっかいな戸をはずすと、トンネルのようにつづく土間に、うすい光がさしこんで、爪先立ったちんばの下駄がみえる。ころがっているタマネギの伸びた芽が、みどりにみえる。たちこめたコンロの煙が、裏口から、のろのろ表へはい出てくる。
やがて、煙のあとから、ゲートルを巻きつけた父が、咳きこみながら、出かけていく。ざんごうをはい出る老いた兵士のように。
そして、そこを飛び出していくのは、センバン工の一番目の息子だ。
Ⅲ
ひる、土間の日ざしにほこりがまう。まだ青い柿の葉と一しょに、炭屋がくる。ゴム屋がのぞく。野良犬がまよいこんでくる。
税務署がきたときは、ちょうど戸がしまっていたのだが、うまいもんだ。すばやく金槌でなぐりつけて、革カバンから先にはいってきた。
母は、えんがわで、外米の石をよりわけながら、息をしていなかった。
六番目の七つの子が、便所で歌をうたって、虫を出していただけだ。
Ⅳ
ゆうがた、三番目の女の子が、市場へつけものを買いにいくころ、家は古寺だ。夕日に赤く照らされて、家中、仏壇だけが坐っているようだ。
そういえば、仏壇の前で、母がつくる造花の一枝一枝は、さびしい供花。小僧の、四番目の息子が、茶わんをならべて、しゃもじで、すいとんの味をみている。
<父ちゃんだ>
表の、レエルのない敷居に腰かけて、鼻くそをほじくっている五番目の息子が叫ぶ。
この耳のいい小学二年生は、父のひきずる足音よりも、からのべんとう箱で、ガチガチ鳴るハシの音をききつけて叫ぶのだ。
Ⅴ
よる、父は、屋根にはえたシノブ草のように、ヒゲのあごをふるわせて、眠った。
父の、しけたセメントのにおいのする腕に、うつぶせて眠るのは、便所でうたうくせのある子だ。
母は、北まくら、供花の束にかこまれて、いびきをかいて眠った。いびきにおびえては目をさました。表戸が鳴っている。二番目の女の子がかえってきたのではないだろうか。かえってくるのは、正月と盆だけなのだが。
三番目の女の子は、ふとんにもぐりこんで、家庭科の宿題、上手な物の買い方をした。<ネギルか、なるべく買わないようにします。>
起きているのは、若い執行委員、一番目の息子だ。組合員百二十、スト決行について考えている。電気を消して、女子工員のヨシエという少女のことも、考える。
壁とタンスのあいだで、虫が鳴く。
みんなが眠って、くるった目覚時計が、いきなり鳴り出したりする。
Ⅵ
その日、十二号台風がちかづくあさ、母はニギリメシをにぎっていた。
父が、戸をはずして表へ出た。
三番目の女の子がノコギリをさげて出る。四番目と五番目の息子が板ぎれをもってくる。
出口にそろって、走る雲をみた。
<きてみやがれ>
父は、口にふくんだ釘を吐き出して、柱の金槌をひきむしった。
一番目の息子は屋根にいて、遠い海をみていた。きたない港は灰色ににごって、水平線のない海がかぶさってくるのだ。となりの屋根から呼ぶ声がする。
無口な息子ははなにも言わないが、風に、体を、旗のようにうならせて立っていた。