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犬のしっぼ
夜中。
こごえた月あかりだ。
咳をとめる。
痰のからんだのどに指をつっこむ。
おやじは また頭をかかえている。
かあちゃんは
口をあけて
ねむりほうけたまねをしている。
ふん。
おやじがひとりごとをはじめる。
ふん。
いそがしいというたら
じぶんは いちんちストーブのはたでにらんでおって
あさの四時から
やれ かまをたけ 石炭をはこべ
すうどん一ぱいで残業せえ。
ほい。ひまになれば 石炭をつかいすぎる 石炭がらひろえ。
仕事があるまでやすんどれ。
そのあいだは 犬みたいに ごみ箱あさって ひろい食いでもせえというのかい。
へ。おれは犬じゃなし 人間さまで。
犬なら犬で 社長のズボンにでも食いついてやるわ。
そうかというて いまさら八代村へはかえりもできず。
かえったとても 田もなし畑もなし。
わしらをうめてくれる墓地もないやろ。
夜にげもどうようのわしらや なんの このじじいになって かえらりょか。
おれは寝がえりをうつ。
咳をする。
はげたおやじの頭をみる。
おれはいう。
そこでや とうちゃん 考えないかん。
なにがそこでや。
なにが。
おまえは大正7年しらんやろが え。
米商人が米を買いしめよって
19エン35センがら 71エン83センまでつりあげよったん。
しるまいが。
スズキちゅうやつは 買いしめた米を外国へ売ってもうけよったわ。
そいで 職工も 百姓も 学生も
わしらは米倉へおしがけていったんぞ。
そいで負けたやないか。
そこでやな とうちゃん 組織というもんが。
だまれ。
おやじはまくらに顔をうずめる。
貨車の音がとおる。
夜。
があちゃんは メリケン粉をこねている。
おれはフライパンに油をひいている。
おやじが いせいよく戸をあけて
がえってくる。
ああ ええ酒やった。
特級酒やろな。
社長の奥さんが またべっぴんでやさしゅうて
よう働くいうてな。
一ぱい飲ましてくれたんや。
庭にはおまえ とうろう 池もあるな。
工場はちっぽいが 家はたいしたもんやで。
ほら これが茶菓子いうもんや。
どうや 一つ15エンはするやろ へへ。
ほれ のしぶくろに
ちゃあんと300エンはいったあると。
えいせいそダじの手つだいで
これだけくれるとこはないやろが。
ああ 酔うた。
ええあんばいや。
社長が どうもごくろうさんやなといいよったぞ。
おやじは バットをくわえる。
マッチをする。
きえる。
かあちゃんは いそいそと台所へ立っていく。
とうちゃん きょうは かい犬になったのかい。
なに。
おやじが血ばしった目でおれをみる。
ぷるんと顔をなでる。
おお きょうはしっぽをふってきたわ。
三べんも四へんもふってきたわ。
おまえの肺病がなおるまでは
どうでも この老いぼれをつこうてもらわにゃ しかたないわ へ。
おまえがなおって働いたとて
人が人につかわれる世の中では
おまえはおまえで
しっぽをふらねば
くらしはたつまいで ええ。
そら 100エン。
これで牛乳のめや のう。
650目。
おまえは 生れたときから 頭ばっかりおおきな子やった。
体がゆれた。
うつぶせた。
とうちゃん。
へ。あわれな声を出すな ばか。