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富士

富士というのか
フジヤマというのか
夜明けにみた
列車はどこを走っていたのだろう
沼津だったか
たしか「富士」という駅もあったはずだが 走っていても 止まっても
駅名をみるどころか
私は 富士から目がはなせなかったのだ

こいつ!
くろがねの男根
ひびかないどら
その 陰謀の巨大さ けだかさ
なんということだ これは
軍艦マーチでもうごかない
小学校で歌った あの歌は
<頭を雲の上に出し>
<四方の山を見下して>
そんな なまやさしいものか これが
くちをつまえて富士をみた

かって私のみた富士は
鴨居の 天皇のとなりの額縁に
三保の松原まで
裾を引いてやさしく
盆と暮にそっと出す 水引かけた三盆白
床の間の箱庭
富士は 皇后の衣裳のようになまめいて
絵のように美しかったが
だまされていたのだ 私は
こんな日本一の化物を
しおせんべいの図柄にながめて
百枚千枚 パリパリくっては茶をのんでいたのだ
それをおもえば
大元帥陛下
鳥の毛のついた軍帽を手に
いつも風邪気味で
なんとまた いたわしいかぎりであったことか――

列車は トンネルをくぐって
 太平洋
暗い波が窓まできて
富士はようやくみえなくなったが
夜のうちに不精ひげものびて
富士への悪態が喉にひりついたまま
息をのんで 泣き出しそうで
ぐったり東京へ着いてしまった
東京・池袋
私は宮城へはいかなかったが
私は ちっぼけな人間天皇の詩人をみた
侍従長になりたがっている 若い詩人にもあった
一そこで私は まだ笑っていられた
それからまた
そういう一つのグループのうわさをきいた
<彼らは共産主義者で>
<しかも文学者らしかった>
私は すこし真面目な顔になった
うわさが ほんとうであるのか どうか
夜の東京
私は腕を振りまわしながら一人で歩いた
そして 富士の麓の石ころのようなものにつまずいては引返した
深夜 東京をはなれた
列車は まっくらやみを走って
窓に鼻をくっつけて 眠らずにいる私に
ついに富士は姿をみせなかったが
<きみら!>
<どうせなるなら富士になれ>
<富士をみて絶望した私だ>
<きみらになんか 人間になんか 絶望してやるものか>
姿をみせない 富士の位置にむかって
私は おかしさがこみ上げてきて
浜松までも笑いつづけた
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