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若い先生

さくらが咲いて 散った
学校では 遠足がはじまった
学生服の若い先生は
こどもたちをつれて
動物園へいった

こどもたらが猿ケ島へいってしまうと
先生は 鉄柵にもたれて
いたどりの葉の煙草に火をつけて
うす暗い鳩小屋で
鳩が ふくろうのように鳴くのをきいた
<先生 猿がのみをとってるよ>
<先生 猿は 投げたものなんでも拾うね>
<先生 おかあさん猿がこどもをだいて穴へ逃げたよ>
こどもたちが息をはずませて報告にきた
先生は カイセンの指のまたをかきひしりながら
一つ一つうなずいて
日のあたるベンチで空腹をこらえていた
葉ざくらに生れたばかりの毛虫がひかっていた

立ち上って 先生が笛を吹いた
こどもたちはかえってきて
先生をとりかこんだ

<先生 もうすぐアメリカからライオンがくるってほんと?>
先生は 整列することをしらないこどもたちをならべて
なんども笛を吹いて
人数をかぞえなおした

村に田植がはじまるころ
講堂を四つにしきった教室で
先生は力んで黒板に書いた
<平和>と書いた
<へいわ へいわ>
こどもたちは おうむのようにくりかえした
先生は つぎに<象徴>と書いた
みたこともないむつかしい漢字に
こどもたちは 首をかしげて先生をみた
若い先生は あわてた
これをどう説明していいのかわかってはいなかったのだ
教壇の上をうろうろしながら考えた
<君が代 宮城遥拝 最敬礼>
<大君の辺にこそ死なめ 皇軍 靖国神社>
<そして平和は どうなのか 戦争と平和 戦争さえなければ平和なのか>
先生は はげしい耳鳴りと背中の冷い汗にボロぎれのはみ出た黒板消しをつかんで
いきなり<象徴>を消してしまった
それでも うすく消え残ったので
先生は ハンケチでごしごしこすった
<先生 黒板の汗をふいてる>
こどもたちが笑った

こどもたちは この背高のっぽの先生に
<キリン>という仇名をつけた

二学期になった日
キリン先生は 朝礼に出てこなかった
つぎの日にもこなかった
運動場に ポプラの葉が落ちてくるころになってもこなかった
こどもたちは 村の一本道に
ジープが投げていった グリンピースのあきかんに
ぎんなんの実をつめて見舞いにいった
先生は 長いすねをふとんから出して
いっそうキリンに似て寝ていた
<早くなおって学校へきてください>
そういって こどもたちはかえっていったが
先生の戦争からもってかえった病気は
しだいに悪くなっていった

熱にうなされて 先生はよく夢をみた
こどもたちは どこへいったのか
夕方の黄色い光のさしこむ教室
黒板に あの<象徴>の文字が
まだ 消え残っている……
チョークの文字は 白く大きく
やがてライオンの牙になって吠えついた
<へいわ へいわ へいわ>
先生は うなって目がさめた
豆腐屋が
路地のどぶ板をふんで
ラッパを吹いてやってきていた

それから 七年たった
先生は キリンのように痩せてはいたが
すこし太った
おもいがけなく
たくましい百姓や高校生になったこどもたちが たずねてきた
せまい部屋に いっぱいになって
先生が生きていたことをよろこんだ
みんなで背くらべをしてみせた
一人が ならいおぼえたジャズをきかせた
「チェンジング・パートナー」を うまく歌った
先生は 柱によりかかってききながら
いま あのことをはっきり話すべきだと考えた
これからでも おそくはないと考えた
<象徴>を<ライオン>を<平和>を
先生は もうはっきりと話すどとができるようになっていた
先生は こどもたちにむかって
しずかに呼びかけた
<きみたち> と

裏の窓から 五月の空がみえていた
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