中学一年生のとき、ぼくは突然声が出なくなった。しかし、まるっきり出なくなったというわけではい。こわれたブザーのようにおもいがけないときに、おもいがけない音が出るのだった。たしかに、それは声ではなく音だった。
ぼくはのどの病気になったのかと思った。くちをあけてかがみにうつしてみたが、べつに魚の骨がひっかかっているようでもなかった。ぼくは声を出すのがこわくなった。なるべく声を出さないように、ちいさな声でしゃべるようにした。
「元気がないようだけど、どうかしたの?」
と、母にきかれたときも、ぼくはだまって首をふった。
だが、ぼくのヒミツの声は、音楽の時間に発見されてしまった。
「はーい。おくちを大きく……おくちをあけて。はーい」
オールド・ミスの先生は、ピアノをひきながら、ぼくたちのくちのひらきぐあいを、一人ひとりみていった。
そのとき、ぼくは、うっかり変な声を出してしまったのだ。
「あら、だあれ……」先生がまゆをしかめた。
犯人のぼくは、たちまち、ふかくふかくうなだれた。
「あなたね。こっちへいらっしゃい」と先生はぼくの肩をだくようにして、「あおむいてごらんなさい」といった。
ぼくは体がふるえた。キッスというものをされるのかもしれないとおもった。先生はナフタリンのにおいがした。
「いいこと……」と、先生がいった。
「いいです」
ぼくはみみずのような声でこたえた。かたく目をとじた。先生のつめたい指先がぼくののどにさわった。
〈ああ……〉
ベートーベンの《運命》の第一楽章の主題が、ぼくの胸のトビラをたたきはじめた。
そして、いよいよとなったとき、先生はいった。
「これを、アダム・アップルというのよ。アダムのリンゴ。神様がたべてはいけないといわれたリンゴを、アダムがたべたの。しってるでしょ。この話。で、アダムののどにリンゴがつかえてのこったというの。そして、みなさんののどに、このリンゴが出てくると、変声期といって、しだいに大人の声にかわっていくのよ」
ぼくはめまいをおこしそうになった。できることなら気絶してしまいたいと思った。耳が熱くもえた。ぼくのヒミツは、声だけではなかったのだ。
みんなは、動物村のけだものたちのように、おとなしく先生の話をきいていた。気持わるそうに、自分ののどをなでているようだった。
その日から、ぼくは学校からかえっても家にとじこもるようになった。二階の窓にもたれて、〈ぼくはいま、なにを考えているのだろう〉などということを、ぼんやり考えてくらした。
そして、ある日、ぼくは学校の図書館から美術の本をかりてきた。二階の部屋にねそべって本をひらくと、ダ・ビンチの「モナ・リザ」やミレーの「種をまく人」の図版が出てきた。ぼくはページをくった。マサッチョの「楽園追放」
ぼくはとびおきた。つくえにむかって、解説を読んだ。
「マサッチョ(1401-28) これは、イタリアのカルミネ聖堂にある壁画です。アダムとイブの神話は、みなさんもしっているとおもうのですが、むかし、エホバの神が土をこねてこの世に、はじめてつくられた人間がアダムです。そして、アダムの肋骨からつくられたのがイブです。二人はエデンの園でたのしくくらしていましたが、神様がとってはいけないといわれていた、木の実をとってたべたので、おまえたちはここから出ていけと追放されたのです。この壁画は、アダムとイブが、かなしみながら、たのしかったエデンの園を出ていくところです」
ぼくはそこまで読んで考えた。いかにもつまらない解説だが、ぼくにはわかったような気がした。
アダムとイブがたべたのは、木の実でもリンゴでも、どちらでもいいことだった。彼らは――彼と彼女は愛しあったから、エデンの園を追放されたのだ。
〈愛しあうことがいけないのなら、神様なんかくそくらえだ!〉
ぼくは、かわいそうな、裸のアダムとイブの図版をながめなおした。アダムははずかしさとかなしさに、両手で顔をおおっていた。イブは、すこしあおむいて、ああ、といっていた。右の手は左の乳に、左の手は前をおおって、なにかの葉っぱがのびてきていた――ぼくは、にわかに顔を赤くした。
ぼくは、そこをみたいとおもったのだ。熱心にイブを見つめた。目になみだがうかんできそうになった。のどがかわいて、アダムのリンゴがいたくなった。
〈神様、ゆるしてください〉
ぼくはイブに顔をちかづけた。葉っぱのかげからのぞいた。なにもみえなかった。
ゆうぐれがきていた。ぼくは立ち上がって窓をしめた。そして、エデンの園を出ていくアダムのように、両手で顔をおおって、階段をおりていった。