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人生即別離
今年、はじめて靴をはきました。旅ともいえない旅でした。
やたらとながくかかって一冊の本をまとめといううことで、ある出版社の労をねぎらっての招きでした。
「だいじょうぶですか?」
「なんとか・・・」
わざわざ迎えにきてもらって、たいそうな出発になりましたが、行き先は嵯峨なのです。
京都駅で、たのしいさし絵をくださった若松市からのYさんをまちました。Yさんは脳血栓の発作があって九年目、まだ右半身にしびれがあるとのことで、おくさんが介添えでときくと、「なんとか・・・」などと私はいっていられないはずでした。
初対面のYさんは、わずかに右足を引きずりかげん。それでも元気そうに見えました。そして、「あえてよかった」と、おくさんをふりむかれたときの目の色の深さに、私は身のちぢむ思いでいました。じぶんの体のつらさだけがあって、しぶしぶのように出かけてきた私でしたから。
Yさんは印刷屋さん。昭和庶民の絵草子ともいえるエッセイ集で、井上ひさし氏などに激賞されていても、いずれは私もともに名もなくて、こわれ物の体。
桂川を左に見ながら走る車のなかで、Yさんはあくまでおだやかでした。そして、躁(そう)状態になっていたのは私でした。ひっきりなしの私の冗談に、底ぬけに明るいYさんのおくさんが、「お上手!」と声を上げて手をうたれたりして、不思議な道中になっていました。
「きげんがよくなりましたね」
編集担当のKさんが、私の耳もとにささやきかけたりして。
修学旅行生にまじって、化野のあたりをゆっくりと歩いてから、私たちは宿でくつろぎました。
しばらくして、編集長のSさんも到着。小宴のあと、とリとめもない話になりましたが、それが親子の問題になったとき、Sさんが重いくちをひらきました。
「父がいわゆるボケ老人になりまして、四日間、テーブルの脚にしがみついたままで、どうしてもはなれなくて・・・。あのときほど、まともに父と対決し対話したことはなかったです。あのときほど、父への愛を感じたこともありませんでした」
「まあ・・・」
Yさんのおくさんの、息をのんでの声がしました。おくさんもまた、寝たきりのお母さんをかかえておられたのです。
それから、どうしたことか、私たちは「人問の死に方」について、熱っぽく話しあうことになりました。
夜がふけて、それぞれの部屋にもどるとき、私はYきんのつぶやきをきさました。それはたしかなすんだ声でした。
「あえてよかった」
翌朝、なんということもなく、みんなで宿の庭を歩ました。
そして、それまで。編集長のSさんが先発。おくれて私たちも出発しました。
人生即別離。
京都駅での、あわただしい別れでした。
[昭和60(1985)年11月30日 京都新聞夕刊「現代のことば」欄に掲載]