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先生のお宅

 まだ寒いころの雨の日でした。いやな音のブザーが鳴るので、寝不足の顔でぞろっと出てみると、中年の女性の訪問者でした。
「ご本を読ませていただいています。私もなにか書いてみたいと思いまして」
「はあ」
「ずいぶんさがしました」
「それはどうも…」
「あの、ほんとうに先生のお宅なのでしょうか?」
 そういうと、げんかんぐちの女性は、のけぞるようにして表札を見なおしました。
「よろしかったら、どうぞ」
 私がすすめると、とまどいというより恐怖にちかい表情で、彼女はいいました。
「いえ、またそのうちに寄せていただきますので」
 逃げるように彼女が帰ってしまったあと、しばらく私は、午後のうす暗いげんかんにうずくまっていました。なにがいけなかったのかなと考えていました。
 もしかして「先生のお宅」がいけなかったのでは。らしくなかったのが。彼女だけではなく、私たちの意識の底には、学歴、職業、住居がつながっているのかも。だから、それがつながらなくて、そこにいる私が不気味に見えたのでは…。
 学歴からいえば、私のかかわる子どもの本にも、どういうわけか「著者略歴」がくっついているのです。そして、学歴社会のしっぽのように、かならず出身校までつらねることになるのです。もちろん、私には由緒正しい学歴などないのですが、それはおまけとして、とにもかくにも私の職業は著述業なのです。
 すると、それにともなったそれらしい住居と、天じょうにとどく書棚のならぶ書斎、そうでなければおかしいのかもしれないのです。
 ところが、べつにじまんをするわけではないのですが、私の住居は五十数年まえに建った借家。いまふうにいえば3K。三畳、三畳、四畳半。それもそれぐらいだろうという寸法で、あとは台所。げんかんの書棚はどこにでもあるサイズ。ならべるところもない書籍は、段ボールづめにしてころがしてあるのです。まんなかの三畳では、ちいさいながら仏壇がにらみをきかしています。
 そして、いちばん奥の間は、しまりきらないガラス戸に「社長室」というプレートををはりつけたりして、そこには格安で買ったベッド。そのベッドによりかかって私は仕事をしているのですが、子どもづれの客でもあれば、ベッドはたちまちトランポリンのマットになるのですから、とてものことに「先生のお宅」とはいえないようです。
 それでも、いささか不便でポリバケツまがいの風呂もなく日も当たらない住居ですが、私にとってはスイートホーム。たとえ病院で生まれ病院で死ぬ時代であっても、私はこの住居にこだわって生き、父がゆき母がゆきしたように、私もここでおわりたいと願っているのです。
 おお、楽しきわが家よ。いまは梅雨どき、「先生のお宅」には雨もりの音もきこえているのです。
[昭和60(1985)年6月24日 京都新聞夕刊「現代のことば」欄に掲載]