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さむらいマラソン

 大型連休のあいだ家にとじこもっていると、ふしぎなぐらいにしずかでした。しずかすぎて、かえって落ちつかないでいたりしました。
 「十年一日だな」
 ふらりとたずねてさた友人が、日の当たらない部屋でうつうつとしている私を見て、あきれ顔でいいまいた。
 「すこしは出かけてみる気にならないものかね」
 などといいながら、うんとビールをのんでかえっていきました。
 しかし、私にだって今年は旅とも旅行ともつかない取材に出かける約束がありました。出版社の編集者と、春になったらと約束をしていたのです。
 行く先は、群川県安中市。目的は、いまからおよそ百二十年まえの「安政の遠足(とおあし)」の資料をさぐるためでした。すでにペリーの黒船がきていて、開国と攘夷のあわただしいさなかに、安中藩主板倉勝明が、士気をたかめるためであったのかどうか、さむらいたちにマラソンをさせたというのです。
 安中藩は二万石。四軒長屋のまずしいさむらいたちは、どんな思いをして走ったのだろうか。はちまきしめて、はかまの股立(ももだち)からげて、城内から碓氷峠への七里あまりの中山道を、ただ黙々と走りつづけたのか。そのおかしさとかなしさを、彼らの胸のうちにくすぶるものを、私は書いてみたかったのです。
 峠の茶屋から発見された「安中御城内御諸士御遠足着帳」によると、安政二年五月十九日の朝早くに、第一陣の黒田誠三郎をはじめとしての七名が。そのあと、六月二十八日までに、五十歳以下のさむらいたち九十八名が走ったことになっています。峠に到着すると熊野神社に参詣(けい)して、酒、みのほし大根、きゅうりもみ、ちからもち五個などいただいてかえったのだそうです。
 安中市の「遠足保存会」では、これぞマラソン発祥の地ということで「安政遠足大会」をつづけているのですが、昨年の五月一日の第十回の大会には、若き女性編集者も雨のなか挑戦して、みごとに落伍(ご)。それでも市役所へ出むいたりして、数すくない資料に大会のスナップをそえて送られてきました。そして、今年になって、春になったらと同行する約束をしていたのです。
 まずは市役所の文化財課で話をきいて、郷土資料史のページを繰ってコピーさせてもらうこと。遠足に参加したさむらいのゆかりのかたがおられたら、たずねてもみたい。碓氷峠まではともかくとして、風土のにおいをかいできたい。私の手もとの資料のなかには、新発売の酒「侍マラソン」のビラなんかもまじっていて、あれもこれもスーツケースにしまいこんで、出かけていく日をたのしみにしていました。
 ところが、だめでした。体がどうにもならなくなりました。動けなくなって、出かけるまえに落伍でした。くやしくなさけなく、約束が守れなくてすまなくて、春から初夏。とじこもって、私はうつうつとしているよりしかたないのでした。
 そして、ひそかに、いつの日にか、はちまきしめて出かけていくのだと、スーツケースのほこりをはらってはいるのです。
[昭和60(1985)年5月21日 京都新聞夕刊「現代のことば」欄に掲載]