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わたしはネクラ

 コアラが六匹やってきました。ちかごろ明るいニュースといえるのかもしれません。
 しかし、どうなのでしょう。そのコアラ舎が、まとめて七億いくらとか。つまりは億ションに住んでいただいて、一匹一匹の専用カメラ、コンピューターで管理されていてなどということになると、欲しい物は金にあかしてなんでもかでも。たとえそれが子どもたちの夢だったとしても、ゆたかな国日本のおぞましい姿を見るようで、いやーな気持ちにもなってくるのです。
 そして、パンダのときとおなじように必死の行列で、むらがって見物する光景も、私には奇妙に見えてくるのです。
 親子関係のひずみの深刻化するなかで、子どもたちの、陰湿ないじめの広がりのなかで、あの圧倒的ななごやかさはなんだろうか思うのです。
 「かわいい…」
 くちをそろえて、親も子も笑顔いっぱいにいうのでしょうが、めずらしい生きたぬいぐるみを見た満足感。それだけのことではないのかなと、私は意地悪く思ってしまうのです。
 どんなにかわいい動物がやってきたからといって、ちいさな命をいとおしむ心も、弱者を思いやることのできるやさしさと強さも、そこから生まれてくるとは、ネクラの私には考えられないのです。そして、なにかの事件が新聞沙汰(ざた)にでもなると、「まさか、あんなにまじめなひとが?」「あんなにおとなしい子が?」と、それこそくちをそろえていうことに。
 明るいというか、心あたたまるだけにせつない思いをしたのは、養父母を迎えた中国残留孤児だったひとたちのニュースでした。ひきつづいていまは、第六次の肉親さがしのひとたちの訪れです。私たちはテレビで見るたびに胸を熱くして、忘れかけていた戦争のむごさを思ったものでした。
 そして、戦争について考えはじめると、私はいつも国家というものがわからなくなってしまうのです。国家のために戦って、戦死したひとたちの数さえ、およそでしかかぞえられていない。南の島に野ざらしのままの遺骨などは、国家にとっては物の数ではないのだろうか。確認の手がかりもないままに、やっとの思いで訪れた中国残留孤児のひとたちが、空港に着くなり大声で泣き出す姿を見たとき、私は祖国という言葉を思い出すことができたのですが。
 そしてまた、いま世界でいくつかの戦争が、いくつの内戦がつづいているのか、恥ずかしいことですが、私はかぞえられずにいます。まして、なぜいまだに戦争がということも、くわしいところまでしらずに過ごしているのです。しらないでいようとしているのかもしれません。アフリカで飢えているひとたちがいることだって、とかくすると忘れがちなのです。これも忘れていようとしているのです。
 そして、中国残留孤児のひとたちが祖国をあとにするころには、祖国日本は、あわだたしく歳末商戦に突入していることでしょう。
 まとまりもなく、ぐちっぽく、みんなみんなネクラの私のひとりごとです。
[昭和59(1984)年12月1日 京都新聞夕刊「現代のことば」欄に掲載]